華寧殿 | |
華寧殿は史蹟115号であり、1801年(純祖元年)に正祖の志を継いで華城行宮の横に建てた正祖の影殿である。影殿は亡くなった王の肖像画を祀り、生きている時のように仕える所である。また、華寧殿は帝王の神霊が月見を楽しむ所であると思われてもいた。華寧殿は正祖の志を継ぎ、質素で素朴な作りとなっている。 |
洛南軒 | |
洛南軒は日帝強制占領期間に華城行宮が撒去された際にも毀損がなく、そのまま残っている建築物の一つである。 1795年(正祖19)の乙卯園幸(訳注:王族や王の側室の墓の墓参り)の際には各種行事がここ、洛南軒で行われた。 正祖は惠慶宮洪氏の還暦宴を記念して兵士の会食をここで行った。また、特別科挙試験を行って文科を5人、武科を56人選抜し、及第者に合格証を授... |
執事廳 | |
執事とは主人に仕えて庶務を執り行う人であり、行宮の執事廳は宮殿の掖庭署(国王が使う筆、墨、硯などや宮殿内の鍵を保管し、さまざまな設備、備品を管理する官庁)のように雑多な事務を行う執事が使用した建物である。 |
北軍営 | |
北軍営は壯勇外營の騎馬兵である親軍衛が左、右列に各100人ずつ宿衛していた建物である。 |
福内堂 | |
堂は行宮の内堂であり、正祖が出御の際に宿泊した所である。長堂の南に位置する。福堂という名は'福は内から生まれるものである'という意味である。 |
長楽堂 | |
長堂は1795年の乙卯園幸(訳注:王族や王の側室の墓の墓参り)の内に惠慶宮の寝殿であり、1794年(正祖18)に華城城役中に完成した。奉壽堂の南にあるが、奉壽堂の西南の屋根と重なっており、東向きに建てられた。 長堂は前漢の都である長安城の宮殿であった長楽宮から名を取った。 惠慶宮の長寿を願った正祖は、漢の太后の住まいであった長楽宮という名から取って行... |
景龍館 | |
景龍館は長堂の外の門としても使用された付属建物である。'景龍'とは帝王を象徴する大きい竜を意味するものである。 1794年(正祖18)に建てられた景龍館は2階建てであり、建物の2階はすべて板を敷いて板敷きが作られ、下の階は3間の板戸が作られて'至楽門'と名付けられた。 |
維與宅 | |
維宅は普段は華城守が住んでおり、正祖が出御の際にはしばらく宿泊して臣下に接見する建物であった。 維與宅は福堂の東の回廊と外整理所の間にある。 元々、維與宅は1790年(正祖14)に建立されて隠若軒と呼ばれていたが、1796年(正祖20)に増築されて維與宅と名を変えた。 建物は東向きであり、左に供宸樓を1間追加して休息空間を備えていた。 1795年の出御の際に正祖... |
外整理所 | |
整理所は、将来行われる1795年の乙卯園幸(訳注:王族や王の側室の墓の墓参り)での各種行事を準備するために1794年12月に設置された臨時機関であったが、華城城役が終わった後も外整理所とし、正祖をはじめとする歴代王が出御する際に華城行宮での行事の準備を担當する官庁となった。 |