西南角楼 | |
角楼は城郭の比較的高い位置に建てられた監視と休憩のための軍事施設です。非常時には角方面の軍事指令所としての役割も果たしました。西南角楼は華城の4つの角楼のうちの一つで、八達山の南側の尾根に設置された甬道の南端に建てられました。1796年(正祖20年)4月16日に建設工事が始まり、7月20日に完成しました。扁額には華陽楼と書かれおり、「華」は華城を意味... |
甬道東雉 | |
「雉」とは一定の距離を置いて、外側に突出するような形で造られた施設を指します。城壁に近づく敵を攻撃し、敵の攻撃から城壁を守るためのもので、華城には全部で10個の「雉」が設けられています。キジを意味する「雉」という名前は、自分の体をうまく隠し、敵の監視に長けたキジの特徴から名付けられました。甬道東雉は甬道の東側に位置しています。 |
南砲楼 | |
南砲楼は、華城の5つの砲楼のうち、八達門と西南暗門の間に位置する砲楼で、1796年7月9日に完成したものです。砲楼は敵が城壁に接近してくるのを防ぐため、火砲を使えるよう設けられた施設で、雉城が進化した造りとなっています。八達門の周辺の城壁と華陽楼の守備を目的に建てられました。 |
南雉 | |
「雉」とは一定の距離を置いて、外側に突出するような形で造られた施設を指します。城壁に近づく敵を攻撃し、敵の攻撃から城壁を守るためのもので、華城には全部で10個の「雉」が設けられています。キジを意味する「雉」という名前は、自分の体をうまく隠し、敵の監視に長けたキジの特徴から名付けられました。南雉は八達門と南砲楼の間にあります。 |
東南角楼 | |
角楼は城郭の比較的高い位置に建てられた監視と休憩のための軍事施設です。非常時には角方面の軍事指令所としての役割も果たしました。東南角楼は華城の4つの角楼のうち、最も視界が開けており、遠くまで四方を見渡せるのが特徴です。南水門方面の守備を強化するため、南空心墩と向かい合わせの形で軍事指揮できるよう建てられました。 |
東三雉 | |
「雉」とは一定の距離を置いて、外側に突出するような形で造られた施設を指します。城壁に近づく敵を攻撃し、敵の攻撃から城壁を守るためのもので、華城には全部で10個の「雉」が設けられています。キジを意味する「雉」という名前は、自分の体をうまく隠し、敵の監視に長けたキジの特徴から名付けられました。東三雉は東二砲楼と東南角楼の中間地点に位置して... |
東二舗楼 | |
舗楼とは、城郭の一部が外側に突出する造りとなっている雉城の上に建てられた木造の建物で、兵士たちが交代で見張りをしていた場所です。東二舗楼は、華城の5つの舗楼のうち、最も東に位置する舗楼で、1796年(正祖20年)7月3日に完成しました。広く平坦な地形の上に建てられたもので、烽墩の守備をその目的としています。 |
烽墩 | |
1796年6月17日に完成した水原華城の烽墩は、典型的な烽火台が周辺を見渡せるよう山の頂上に別途の施設として建てられるのとは異なり、華城の城壁の一部に組み込まれ、レンガ造りとなっているのが特徴です。これは、韓国の城郭様式では見られない、めずらしい造りで、芸術作品を思わせる精巧な造りから水原華城の代表的な施設に数えられています。 普段は、南方... |
東二雉 | |
「雉」とは一定の距離を置いて、外側に突出するような形で造られた施設を指します。城壁に近づく敵を攻撃し、敵の攻撃から城壁を守るためのもので、華城には全部で10個の「雉」が設けられています。キジを意味する「雉」という名前は、自分の体をうまく隠し、敵の監視に長けたキジの特徴から名付けられました。東二雉は東砲楼と烽墩の中間地点に位置しています... |
東砲楼 | |
東砲楼は華城の5つの砲楼のうち、東側の東一雉と東二雉の間に位置する砲楼で、1796年(正祖20年)7月16日に完成しました。砲楼とは、城壁の一部が外側に突出するような形をした雉城の上に設けられたもので、3階の内部を設け、その中に火薬兵器を置き、いつでも攻撃できるようにしたものです。 |