長安門 | |
華城四大城門の北側の門である長安門は、水原華城の正門にあたります。1794年(正祖18年)2月28日に建設工事が始まり、同年9月5日に完成しました。長安という名前は、首都を象徴し、民の安寧を意味します。また、長安門は、寄棟屋根(四方向に傾斜がある屋根の形)からなり、その威風堂々とした構えを特徴としています。城門の外側には半円型の甕城が置かれていますが... |
蒼龍門 | |
華城四大城門の東側の門である蒼龍門は、1798年(正祖19年)5月8日に建設工事が始まり、10月17日に完成しました。蒼龍は風水上の左青龍を指し、東側を意味します。城門を保護するため、半円型の甕城が建てられていますが、長安門や八達門とは異なり、片方が開いた状態となっているのが特徴です。甕城の内側にある虹霓門の左側城壁には、当時工事を担当した人や責任者... |
北東敵台 | |
敵台とは、敵からの攻撃を防ぐため、城門の左右にある雉城の上に設けた防御施設のことを言います。四大城門の中では、長安門と八達門の両側にのみ設置されています。長安門の東側に位置する北東敵台の高さは城壁と同じで、雉城の外側に3つの懸眼(上下に細長く開けた穴)を設け、城壁に近づく敵の様子を監視し、攻撃できるようにしました。 |
北西敵台 | |
敵台とは、敵からの攻撃を防ぐため、城門の左右にある雉城の上に設けた防御施設のことを言います。四大城門の中では長安門と八達門の両側にのみ設置されています。長安門の西側に位置する北西敵台の高さは城壁と同じで、雉城の外側には、城壁に近づく敵の様子を観察し攻撃できるよう、3つの懸眼(上下に細長く開けた穴)が設けられ、煉瓦で積み上げた防壁には鉄... |
北西砲楼 | |
華西門と長安門の間に位置する北西砲楼は、華城の5つの砲楼の一つで、1794年(正祖18年)9月24日に造られました。砲楼とは、城壁の一部が外側に突出するような形をした雉城の上に設けられたもので、3階の内部を設け、その中に火薬兵器を置き、いつでも攻撃できるようにしたものです。 |
北舗楼 | |
舗楼とは、城郭の一部が外側に突出する造りとなっている雉城の上に建てられた木造の建物で、兵士たちが交代で見張りをしていた場所です。北舗楼は華城の5つの舗楼のうちの一つで、1795年(正祖19年)2月20日に完成しました。長安門と華西門の間にあり、近くの北西砲楼と共に近づいてくる敵を攻撃する施設として活用されました。 |
西北角楼 | |
角楼は城郭の比較的高い位置に建てられた監視と休憩のための軍事施設です。非常時には角方面の軍事指令所としての役割も果たしました。西北角楼は華城の4つの角楼の一つで、熟知山に向かい合わせの形で位置し、華西門一帯の軍事を指揮するために建てられました。 |